「やりたいこと」を見つめる
こんにちは、キャリアコンサルタントのTOMOCHIです。
今日は「やりたいこと」を見つめる大切さについて書きたいと思います。
1.林修先生による「やりたいこと」と「できること」の関係
昨日たまたまつけたTVで、林修先生が高学歴ニートを前に授業をしていました。
(6月21日(日)放送の「林先生の初耳学」(毎週日曜夜10:00-10:54、TBS系)
私はあまりTVを見ないのですが、これは見られてよかったなと思いました。
林修先生の本業は、某大手予備校の大人気予備校講師ですよね。
ご存知の方も多いかと思いますが、林修先生は、予備校講師という職業になりたくてなったわけではなくて、今でも予備校講師の仕事を楽しいと思ったことはないと言い切っていらっしゃいます。
このTVの中の授業でもおっしゃっていました。僕はやりたいことではなくて、できることを選んで予備校講師をしています、と。
「やりたい・やりたくない」の軸と「できる・できない」の軸を縦横に組み合わせたマトリックスを描いていらっしゃった。
一番いいのは、「やりたい&できる」の領域の仕事ができることです、と。でもなかなかそんな都合の良いものは見つからないと。
人には、「やりたい・やりたくない」の軸が絶対的なタイプがいますと。でも僕はそうではなく、「できる・できない」の軸で、「やりたくない&できる」の領域の仕事をしているというお話でした。
この話は本当に深い話だと思います。
私も35歳のときに自分でいきついたのは、これと同様のマトリックスでしたので、大変共感しました。
若い時は、やりたいことでお金を稼ぎたいと思っていました。どうせ働くなら、やりたいことをしたい、好きなことをしたいと。そこでやりたいことに挑戦しました。思いっきり、路線を変えました。夜間の専門学校に通うほど、大きな転換をしたのです。
けれども、向いていない部分がたくさんありました。何年も働いた上で、挑戦を経て知った、悟った結論は、「自分のできることをしよう」でした。
林修先生も、最初はやりたいことをやってみて挑戦はしたと語っていました。でもそれで失敗したと。それを先生は「失敗の実験」と呼んでいらっしゃいました。
林修先生はご自身の経験から、大変興味深いことを言っています。
・やりたいこと=偶然である
・できること=必然である
やりたいと思っていたことは、本当に自分が心からやりたいと思っていたことなのだろうか?ということです。
林修先生曰はく、やりたいと思っていることというのは、環境や情報に左右されることが多いと。つまり、自分の心の底から湧き上がる「本当に自分が望んでいる、やりたいこと」ではない可能性が高い、というのです。
環境は情報に左右されるような「やりたいこと」なのであれば、それは「偶然である」ということ。
それに比べ、自分自身ができること(注意:林修先生のいう「できる」とは、自分自身ができると思うことにとどまらず、周囲の他人から「できる」と判断されるレベルのことを指します)は、自分が持っている能力の発揮であるため、必然であるというのです。
2.「やりたいこと」は偶然なのか?
林修先生は、ご自身は「やりたくないけどできること」を仕事とし、そのおかげで悩んだことはないと言いつつも、「やりたい・やりたくない」軸にこだわるタイプの人を否定はしていません。BESTなのは、「やりたいかつできる」の領域であるともおっしゃっています。
林修先生のように、割り切って「やりたくないけどできること」を仕事にできる人は多数派ではないかもしれないですよね。やはり「やりたいこと」をしたい!という人は一定数存在すると私は思います。
では、林修先生が示唆してくださった、「やりたいことは偶然である可能性が高い」ということを踏まると、「偶然ではない、真に自分がやりたいことは何なのか?」という問いに自ら答える必要があるのではないかと思います。環境や情報に左右されたのではない、自分の中に根源的にある「やりたいこと」を見つめなければなりません。
やりたいことで、仕事として突き抜けていくには、この作業が必須であると私は考えています。
今自分がやりたいと思っていることは、本当に自分が望んでいることなのだろうか?どうしたらそこが見極められるのだろう。
やりたいことを探したくても、どう探したらいいのかがわからない。
やりたいことが見つからない。
こういう悩みが多く出てくると思います。自分のことなのに、わかりません。
自分のことだから、他の誰かに聞いてでてくるものでも、教えてくれるものでもありません。
自分を見つめるというのは、難しいことなのです。
3.「やりたい」と「やらなければならない」
私には、大人になればなるほど、難しくなるのではないかと思うことがあります。
その1つに、「自分の願望を直視する」というものがあります。
人は大人になるにつれ、自分のわがままを出す機会が減ってくると思います。代わりに何が増えるかというと、我慢です。
本当はこうしたいけど、でもこういう都合があるから、こっちを優先しよう、とか。
本音ではこう言いたいけれど、そういうわけにもいかないから、ここは大人としてこうふるまうべきだ、とか。
つまり、自分の願望や思いよりも、社会的に求められていることや、義務を優先します。
それで社会は、ある程度の秩序が保たれてまわっているのだと思います。
このこと自体は、悪いことではないと思いますし、必要なことだと思います。
ですが、「やりたいこと」より「やらなければならないこと」ばかりを優先して頭を使っていると、自分の気持ちや心に蓋をしていくことが通常になります。
ある意味、これは実は私たちにとって、楽なことなのだと思います。なぜなら「やらなければならないこと」は、たいていはっきりしています。自分で考えるまでもなく、義務ですから、「やるしかない」のです。
こうして、「やらなければならないこと」ばかり優先した日々を過ごしていくと、どうなるか。
自分が何をやりたいのか、がわからなくなるのです。自分の気持ちや願望に対し見ないふりを続けてきたところ、そんな気持ちを忘れてしまいます。そこでいざ、さぁ私のやりたいことは何だろう?と思ってみたところで、何もでてきません。
それどころか、私の経験で言えば、「さぁ私のやりたいことは何だろう?」という問いすら、自分に向けることができません。おそらく、自分のやりたいことに向き合うのが怖いのでしょう、考えなくてもよい方に逃げようとします。文字通り、その蓋は開けたくないのだ、というふうに。
なぜ向き合うのが怖いのか?何か、すごいやりたいことが見つかってしまったら、自分はどうしたらいいのかわからないからかもしれません。今の生活を守りたいという防衛本能もあります。変化が起こりそうで怖いという、変わることを恐れる部分が出てきてしまいます。
自分の知らない自分、新しい自分が見えてくるというのは、ある程度恐ろしいことなのでしょう。今の何かを揺るがすことかもしれないから。
けれど、これには勇気をもって、時間をある程度かけて向き合うしかありません。
時には、「やらなければならないこと」をいったんわきに置いて、自分の「やりたいこと」の声を聴いてあげることは、自分を大切にすることにつながると思います。
せっかくの自分の人生ですから、自分に向き合ってみてほしいと思います。
4.やりたいことの見つめ方
では実際に、自分がやりたいことは何だろうか?と向き合う際のポイントをお伝えしたいと思います。
コツは、ただ「好き」を探すのではなく、もっと広く網をかけることです。
「好き」というのは、ピンポイントであることが多いのではないでしょうか。
それではあまりにも限定的になってしまいますので、好きを広げて、「自分の興味・関心がどこにあるのか?」に注目してみてください。
2つアプローチのヒントを書きます。
①知人、芸能人、有名人などの中で、「この人のこういうとこ、いいなぁ。うらやましいな、憧れるな」と思うことを探してみる
そのうえで、その人の、何?どこ?に惹かれるのか、をよく考える。そして、それはなぜ?なぜ惹かれるのかを探っていく。
この「なぜ」はとても重要です。その理由に、あなたの価値観が反映されているはずです。
その時の注意点としては、自分とまったく違う世界の人だから、とか、あの人はもう本当に特別な人だから参考にならないとか、そういう邪念を一切取っ払ってほしいということです。他人の生き方や人生の中から、心に従って、素直に、いいなと思うことを見つけてください。ここに、可能・不可能を考えてはいけませんよ!
いくつか見つかれば、それらの共通点なども見えてくるかもしれません。
そうすると、ご自身の傾向というものも、出てくると思います。
②子供のころに憧れていた、好きだったことを思い出してみる
このアプローチは大変、王道のやり方です。
やはり子供のころというのは、自分の根っこが現れており、自分の本質はここにあることが多いからです。
キャリアカウンセリングの先生に、マーク・L・サビカスという方がいらっしゃいます。
サビカス先生は、キャリアストーリーインタビューという手法を用いて、クライエントに5つの質問を投げかけ、自分を見つめる手助けを行います。
その5つの質問というのが以下です。
- ・6歳以前にあなたが憧れていた人やロールモデルになった人を3人挙げてください。またその理由も述べてください。
- ・あなたの最も好きなa)雑誌、b)テレビ番組、c)ウェブサイトは何ですか?それはなぜですか?
- ・本や映画のストーリーであなたが最も好きなものは?
- ・最も好きなモットーやことわざを3つ
- ・あなたの人生で最初の記憶は何ですか?最も幼い時期の思い出です。あなたが6歳までにおきたことで思い出せることのなかで、3つのストーリーを述べてください。
(キャリア・ストーリー・インタビュー(Saicas,2011)より)
6歳以前のことを尋ねる質問が2つも出てきます。
なかなか、子供のころを思い出すというのは、やってみると難しいものです。
けれどもここには、自分の原体験があるということですね。
このキャリアストーリーインタビューについて、やってみたい人は以下のリンクを参考にしてみてください。
「何をしたいのかわからない40代。ありたい自分や目標・職業への興味に気づくヒント」https://nowjob.jp/kyariasuto-ri/
今日はここまで。
天職という、憧れについて
こんにちは。キャリアコンサルタントのTOMOCHIです。
みなさんは、「天職」という言葉を聞いて、どのように感じますか?
今日はその「天職」について、あれこれ書いてみたいと思います。
1.天職に出会ってキラキラしたい!
私はずっと、「天職、かぁ・・・そんなものが自分にあるのかな~あったらいいのになぁ~自分にとっては天職ってなんなんだろう。」と思ってきました。
テレビや雑誌で見る人が「私、今の仕事が天職だと思っているんです。」と言ってたりする。
強烈にうらやましいと思っていました。
だって、やっぱりまぶしいですよね。キラキラしてますよね。そういって胸を張れるというのは、素晴らしいことだと思います。
天職というからには、こう言える人というのは、
自分に向いている、自分に合っている、本当に好きなこと、やりがいがあって、幸せを感じている、そういう仕事に出会って、従事しているのだろうと。そういうイメージですよね。
そもそも、天職とは何でしょう。
英語では、天職はcallingと言われます。呼ぶ、とか電話をかけるという意味の動詞callの名詞です。
これは、神様から呼ばれたものという意味からきていて、神様から与えられた仕事ということになるそうです。
つまり、まさに「使命」ということでしょうか。
しかし、ここには受け身のニュアンスがあります。「呼ばれる」とか「与えられる」とか。
自分で選ぶというよりは、「仕事に選ばれる」というような意味合いのようです。
けれども本当は、現代の社会で「仕事に選ばれる」なんてことはほぼないと思います。
代々続いている稼業を引き継ぐという場合には、「仕事に選ばれる」と言ってもよいのかもしれませんが、多くの方にとって、仕事は自分で選ぶものだと思います。
そこで大きな問題が出てきます。私が思うところ、2つあります。
問題①
どうしたら天職に出会えるのか?
つまり、職業選択に関する悩みです。
問題②
天職は、直感型なのか、熟成型なのか?
出会って、これだーーとひとめぼれのように天職とわかるものなのか?それとも長い付き合いを経てよさがしみじみわかるような、あぁ天職だったんだなという時間のかかるものなのだろうか?
2.問題①「どうしたら天職に出会えるのか?」
職業を選ぶ。そもそも、選ぶことができる、という時点で幸福なことですよね。
しかし、どう選ぶのか?選択肢があればあるほど悩ましいというのも現実には問題です。
昔から、職業選択については様々な学者達があれこれ研究を重ね、方法論を編み出してきました。
1つ有名なものを紹介しますと、ホランドという学者が提唱した理論に「ホランドタイプ」というものがあります。
人間のタイプを6つに分けるテストを行い、世の中にある仕事も6つのタイプに分類し、自分と仕事のマッチングを行うというものです。
ご参考に一般社団法人セルフキャリアデザイン協会のURLを貼っておきます。
https://self-cd.or.jp/archives/lp/vrt
(またこのブログでも、このホランドタイプについて語ってみたいと思っています!)
これらのテストである程度は、自分の興味関心と職業への適性をマッチングすることは可能です。興味のある方はぜひやってみてください。
しかしながら、これらはあくまで「適性をマッチングする」ということをお助けするツールでしかないのです。
今日の私の掲げた問題である、「天職に出会うにはどうしたらいいのか?」には答えられてはいないと思います。
やっぱり、好きなことを仕事にする以外、天職なんてありえないでしょ!という意見はたくさん聞こえてきそうです。
天職というものを分解したら、おそらく十中八九、「好き」は出てくるでしょうね。
けれども、そこで「好きなことを仕事にしなければ」と意気込んでいると、好きなこと探しに埋没する可能性が高いです。
好きなことってなんだ?自分は何が好きなのか?それって、仕事にしたいぐらい好きなのか?好きなことがそもそも、仕事にはないけど?
好きなこと探しの落とし穴は、案外深いです。
私の大学時代のゼミの先生はおっしゃいました。
趣味というのはね、趣味でおいておいたほうがいいですよ。趣味を仕事にしないほうがいいですよ、と。
今の私には、よくわかる言葉です。これもまた、深い。もちろん賛否両論あるでしょう。けれど私も、この先生の言葉には同感です。
では、「好き」はちょっとわきに置いておいて、自分に「合っている」仕事というのが見つかるなら、それは天職になるのではないか?
二つ目の仮説です。
そうですよね。自分に「合っているか合っていないか」はかなり重要な気がしますね。
先ほどのホランドタイプでも、「適性」、つまり「相性」を見ることになりますから。
適性テストで、自分に「合っている」職業が見つかったとします。
やってみて、自分の能力は発揮できてるかな~と思え、自分には合っている仕事だと自覚できたとします。
けれど、今日の私のお題は何度もいいますが、「天職に出会うにはどうしたらいいのか?」でした。
従事している仕事が自分に合っていたところで、その仕事はあなたの「天職」になりうるのだろうか?
禅問答みたいですかね??どうでしょうか。
合っているから、ストレスは少ないかもしれません。そんな不都合も感じないかもしれません。けれども、「天職」まで求めてしまうと、どうだろう・・・そこまでは難しいかもしれないと私は思います。
3.問題②「天職は、直感型なのか、熟成型なのか?」
天職、おそるべし。ぜんぜんたどり着けません。
好きだけでも、ダメそう。合っていても、ダメそう。なんか違う。
そこで2つ目に掲げた問題です。
天職はひとめぼれで見つかるのか、時間をかけて見つけられるものなのか?
もし、直感ひとめぼれ型なのであれば、先ほどのテストなどで自分の適性を見出し、とにかくやってみるしかない、ということになりそうです。
適性マッチングで目星をつけておいて、トライしてみる。
そこで、あ、これ私すごく好きかも、できそうかもって思えたら、はいあなたはラッキーでしたね、天職に出会えましたね、ということなのか。
なんかそれって、結局天職というのは、ラッキーがある人しか出会えないんじゃないかっていう結論になりそうですよね。
もし天職が時間をかけてやっとようやく、「あぁこれが私の・・・天職ってやつですかね」という境地にたどり着ける場合。
これには、紆余曲折を経て、というニュアンスが漂います。いろいろあったけど、いろいろ経験して、私も大人になって、ようやくそう思えるところまで来ました、というようなものです。
これも、ある程度のラッキーがあって、それに加えてこの人の適応能力といいますか、ものの考え方の変遷があってそこに至るという気がします。
天職に出会えた人には、おそらくどちらのタイプも存在すると思います。
最初から、ビビビッと天職だという予感がして出会えた人。
最初はピンと来なかったけど、続けていたら、これが天職なんでしょうねと受け入れるに至った人。
これらは結果論でしかないです。私らが知りたいのは方法論なのだよ!
4.「天職ですね」という人はなぜそう言えるのか?
ではちょっとアプローチを変えてみましょう。
冒頭で、「私、今の仕事が天職だと思っているんです。」という人を見かけたりするといいました。
その人たちが、どうして「私、今の仕事が天職だと思っているんです。」って言えるのか、そう思えるのか?を考えてみたいと思います。
すでに「自分の天職」に出会った人に聞いてみようっていうことですね。
自分のやりたかったことだから。
自分の夢だったから。
自分の好きなことだから。
とにかく毎日が楽しいから。
仕事をしていて、お客さんからありがとうって言われるから。
などなど
共通していることを掘り下げてみます。
こういう風に語れるというのは、
今のその仕事をしている自分自身に、満足を感じている
からだと思います。
簡単にいうと、「そんな自分が、気に入ってる」ということです。
ここで大事なことは、
「仕事」にフォーカスされているのではなく、「自分」にフォーカスされているということです。
天職を探したい、自分に合った幸せな仕事につきたいと思ったら、誰もが仕事を懸命に見よう、探そうとします。
仕事内容について、どんな会社なのか、どんな能力が必要なのか、等。
もちろんそれは、大切なことで、必要です。
けれども、一番大切なのは、「どんな自分だったら、私は自分に満足できるのか」を知っておくことだと思います。
つまり、「仕事を通しての、ありたい自分はどんな自分なのか」を知っておくこと。
自分が仕事で満足感を得るには、感じるためには、何が必要なのかを見つけることです。
自分の仕事は天職だと言える人が
「自分のやりたかったことだから。それができているから、天職だと思う。」というのであれば、この人は「やりたかったことをやる」ということに重きを置いていると思われます。そこに意志と信念がある。その自分の信念に従っていられる自分が好き、気に入っているということだと思います。
つまり、「どんな自分だったら、私は自分に満足できるのか」は人それぞれ違うわけです。あなたは何に、どんなものに、喜びを感じますか?
極端にいえば、仕事について、好きでなくても・合っていなくても、自分がその仕事を通じ喜びを感じられるのであれば、それでよいのかもしれません。
どんな仕事であっても、ありたい自分でいられる仕事なのであれば、それがあなたにとっての「天職」だろうと思います。
大切なのは、選んだ仕事を通じて、理想の自分・ありたい自分でいられることなのです。
働きたくない? -自分の中のふしぎな矛盾
1.会社に行きたくない
GWや年末年始などの連休明け。
または毎週の日曜日など。
いわゆる「サザエさん症候群」といわれるものですが、「あー明日から仕事かぁー行きたくないなー」と思う方はどのぐらいいらっしゃるのでしょうか。
私も、連休の最終日は、あーあと思います。
私ってそんなに仕事嫌いなのかと思ったりもします。そしていつまでも働かずに暮らしていいのなら、自分にはできそうだなとも思う。
実は今も会社より自宅待機の指示が出ているので、原則出勤はしていません。月の大半は家で過ごしています。週に1回ほどのペースで、出勤してやるべきことをこなしている状況。
こんな中でも、私の気持ちはといえば、「やっぱり普通に働けるっていいな!幸せなことだったんだな!早く毎日出勤したいな」とはなりませんでした。
我ながら、すごい。というか、徹底している。
本音は、「今の感じが、サイコー!」です。
2か月も家にこもっていて、それでも、飽きない。もともと、家が好きだというのは大きいと思いますが、眠りたいだけ眠り、食事も好きなペースでとることができ、自分で決めたやりたいことをやる。快適なんですよね。
ただ、そこに、「週1回の勤務がある」というのが、絶妙なバランスなのかもしれない。これが大きな、幸せを支えているポイントかもしれないのです。
2.働くことは好きですか?
働きたいのか?働きたくないのか?
要するに、あなたは働くことが好きですか?という問いになる。
これに対して、「ええ好きですよ」と開口一番答える人はかなり少ないのではないかと思います。
先日読んだ図書「仕事と幸福、そして、人生について」(ジョシュア・ハルバースタム著)によれば、「人々は自分の仕事を嫌うことが大好きだ」とありました。
一方で、とある調査では、男女ともほぼ80%がたとえ働かなくても食べていけるお金があったとしても今の仕事を続けるだろうと回答しているらしい。
つまり、口では働くのは嫌いだといいつつ、本心では働くことが好きである、ということ。
ふしぎな矛盾です。
けれど、自分の中にもこのような矛盾があることは承知しています。
先ほど指摘した、今の私の「週1回の勤務がある」ということは、「私には仕事がある。やるべきことがある」という、ある種の安心を担保しているのだろうと思うのです。
試しに、考えてみてください。
もし、働かなくても死ぬまでに十分すぎるお金があるとしたら、あなたは残りの人生で何をしますか?
つまり、そこであなたは働くのか?働かないのか?
私は、働くことを選びます。
3.働くことで得られるもの
私は過去に何度か失業したことがあります。
次を決めないで仕事を辞めたことが2度ありました。
一度は東京から関西に戻ってきた時。関西の求人は驚くほど少なかった。
二度目は軽度うつを発症し、このままでは病気が悪化するだけだと、早々と見切りをつけ辞めた。辞めてから半年間は自宅で療養した。
その時の、自分の気持ち。
失業は、失業した人にしかわからないようなものがあると思います。
先の見えない不安、決まりそうな仕事は自分のやりたくない仕事しか見当たらない、自分がのぞむ求人は毎度書類選考で落ちる、お金が心許ない、税金や社会保険料でどんどん貯金がなくなっていく、この国では何もしていなくても、ただ息を吸ってはいているだけで、お金を吸い取られていくのだと思ったものです。
暗いトンネルの中にただ一人でいる。
出口は見えない。どれだけ歩けば、光が差してくるのだろうか。
失業中の、仕事を探しても探しても決まらないときの気持ち。
働ける場所があるって、ありがたいんだなと思います。
働くことは、奥深いのだと思います。
要は、働くことで得られるものは、お金(お給料)だけではないということです。
ここに、「実は働くのは好き」という本質が隠れているのではないかと。
「働く」ということは
①人を介するものである
②自分本位のみではない、「支えあい」である
③社会に必要とされること⇒「自己重要感」につながる
この3つに分解できるように思います。
①人を介するものである
よく言われたもので、人は一人で生きているのではない、ということですね。
人と人の間に、労働は存在しています。相手がいなければ、ビジネスは成り立たない。人と人を介在し、人と人の間で生きる。とても人間らしい姿なのであって、そこにコミュニケーションの難しさと醍醐味があるのだろうと思います。
②自分本位のみではない、「支えあい」である
自分のみが、お金を稼げればよいということに、世の中はなりません。
かなり一部の、ものすごい高所得者はもちろん存在していますが、その人たちも自分本位のみでは、そこまでの財は築けていないか、築けても長くは続かないと思います。
やはり、誰かの働きが誰かを支えている。誰かが必要としていることで、商機があっての財を成すへつながります。
今の新型コロナウイルス禍では、このことに気が付いた人は多いのではないでしょうか?
自分たちの生活を支えてくれている人がいる。世の中にはそういう労働者がいる。
自分も、誰かを支えているだろうか?誰かの喜びや幸せに、貢献できているだろうか?と。
どこか誰もが心の中に「人の役に立ちたい」という思いは、少なからずあるような気がします。
③社会に必要とされること⇒「自己重要感」につながる
人には、居場所というものが必要なのだと思います。
居場所は、あなたはここにいていいんだよって言ってもらえることであって、人から・周りから・社会から、自分という存在を肯定された気持ちになります。
裏返すならば、失業中のつらさや苦しみというのは、ここから来ていると思います。
自分を肯定されたいのに、されないという苦しみです。
働く場があるということは、自分の居場所があるということです。
自分の居場所で、社会に必要とされている。そこで一生懸命働くと、「あー今日よく働いたな」という満足感も味わえたりします。
その満足感は、自分が社会に必要とされて、そしてそれをまっとうできたという喜びなのです。
4.最後に
先ほど紹介の著書「仕事と幸福、そして、人生について」(ジョシュア・ハルバースタム著)によれば、この「働くことが好きなはずなのに、働きたくないと思ってしまう矛盾」について、「ある活動のすべては好きになれなくても、それに対してポジティブな感情を抱くときもある」ということで説明できるのではないだろうかと述べています。
そういう面もあるのかなと思います。
ただ個人的には、私の場合でいうと、家にいて好きなことをして時間を自分の思い通りに使えること(=それだけ家で一人でやりたいことが無尽蔵のようにある)が相当好きな、幸せなことなんだろうと。また一方で、仕事をすること、働くことも、もちろん好きなのである。つまり、「好き」と「好き」が拮抗している。そしてその両者は、なんと共存がかなり困難である、ということです。
簡単に言うと、あちらを立てればこちらが立たず、状態。
そりゃ、矛盾するでしょ、っていう話なのかなと思っています。
なんらふしぎなことではないのかもしれない。
みなさんは、いかがでしょうか?
リモートワークは好きですか? -働く環境について
こんにちは、キャリアコンサルタントのTOMOCHIです。
現在の日本。39県では緊急事態宣言が解除されました。明後日には関西の3府県が宣言解除されるかもしれないとの見通しが出ています。
少しずつ、日常というものを取り戻す動きにあります。
この間、変わらずにお店や工場などの現場で毎日働きに出ている方もいらっしゃれば、オフィスはがらんどうで、皆自宅から家のパソコンでリモートワークという方もいらっしゃると思います。
この、働く環境が一気に変わってしまった方。
いかがですか?
これはこれで、なかなか自分のペースで仕事ができるし、通勤時間が不要になっていいなぁ、このままリモートワーク続けさせてくれないかな?という人。
一方で、小さい子供がいたりペットがいたり、家では集中できなくて、という方。また一人ではペースが掴みづらく、やはり同僚の顔を見ながらでなければ効率が悪いという方。
仕事によっては、リモートワークが向く・向かないもあるでしょうし、住居環境や家族構成もそれぞれですから、当然このようにリモートワークがいいと思う人・つらいと思う人分かれてしまいます。
けれども、実は同じような条件・状況でも、人によってはリモートワークが好き・嫌いは分かれてしまうのです。
人は本当にそれぞれ、皆違うのです。今日はそんなお話です。
私のことを少しお話しますね。
私はいくつもの職場を経験してきました。基本的にはオフィスワークですが、今までいろんなオフィスを見てきました。
その中で一つ私にとっては衝撃的なオフィスがありました。面接時に見せていただいたオフィスなので、そこで働くということはありませんでしたが、堅牢な建物にある、地下室のオフィスでした。
その地下には、ボイラー室という設備機器の置いてある部屋と、そのオフィスだけ。イメージとしては潜水艦のような?機械音もかなりしていました。
当然ながら窓がなく、部屋の雰囲気も陰湿で、狭い部屋に7,8名ほど社員の方が机を並べていました。
私は大変失礼ながら、直感で「私ここにいたら病気になりそうだ」と思ったのでした。
それには私には苦い経験が2つほどあったからです。
その2つに共通するのは、とても狭い空間に、人がぎゅうぎゅうに詰め込まれているオフィスで働いたということです。
通常のオフィス用の机ではなく、会議室の長机に椅子並べて働いたときは、腕が隣の人に当たりそうなほど近くでした。資料のバインダーを広げる場所さえありませんでした。
また立つ際に椅子を引くことが毎度はばかられるほどの密集オフィスも。よくぞここまで机と棚を並べてレイアウトしたな、と感心するぐらいでした。
この2つの場で、私にはかなりストレスがかかっていたのだと思います。もちろん理由はそれだけではありませんが、耐えきれずに辞めてしまいました。
その時に思ったのです。
私はなんてやわなのだと。この環境で、何年にもわたり働きづつけている人たちがたくさんいらっしゃる。おそらくその人たちは、この環境についてはさしたる何も思っていないに違いない。気にしていないかもしれない。なのに私ときたら、これが耐えられないという。どういうことなのか?同じ人間なのに。
不思議ですよね。感じ方が人によって全く違うわけです。
平気な人もいれば、私のように逃げ出す者もいる。
これについて、キャリアコンサルタントの資格取得に向けて学んでいたとき、ある1つの理論に出会い、私はとても納得したのです。
それはハーズバーグというアメリカの心理学者の提唱した理論で、「動機付け要因・衛生要因」といいます。
ハーズバーグは労働者を対象に、これまでの仕事の中で、「いい思いをした経験」と「悪い思いをした経験」をインタビューしました。
すると、「いい思いをした経験」では、仕事の達成感や承認、評価、仕事そのものの面白さなどが挙げられたそうです。一方「悪い思いをした経験」では、会社の方針、経営の仕方、人の監督の仕方、人間関係、労働環境が挙げられたそうです。
この調査から、ハーズバーグは、職場の満足感と不満足感を引き起こす要因は、1つのものではなく、2つ別々のものだと見出しました。
●職場の満足感:人間の中にある自己充実や精神的成長を志向する欲求に根差している
⇒ 「動機付け要因」と名付ける
●職場の不満足感:苦痛や深いを与える環境を避けたいという欲求に根差している
⇒ 「衛生要因」と名付ける
どうでしょうか?
ちょっと、あぁわかるなっていうところがありませんか?
例えば、逐一チェックをいれて過剰に監督をしてくる上司。毎日毎日うっとおしいなと思うわけですね。ある日突然、上司が変わりました。タイプの違う放任主義の上司がやってきました。ラッキーって思いますよね。あぁ楽になったーと。不満は解消されました。めでたしめでたし。
でも待ってください。不満はなくなりましたが、だからって、満足までしますか?
これでやっと普通の環境になったよ、って思いませんか?
お給料もそうなのです。お給料が上がったら、うれしいですね。でも上がったところで不満がなくなるだけで、満足はしないのです。
どうやら別のとある研究では、お給料が上がれば上がるほど幸福というわけでもないというのが出ているぐらいです。
(参考:ダイアモンドオンライン 年収が上がれば上がるほど幸せになれるのか?幸福の正体とはhttps://diamond.jp/articles/-/229496?page=2
一方で、頑張った仕事が部で認められた、昇格した、ねばっていたプロジェクトで競合に勝てた、などは本当にうれしい。やったー、という達成感。やっててよかったという喜びです。これが満足感ですよね。満足をもたらすのは、達成や承認、仕事そのものなんですね。
つまり、ハーズバーグは、この人の不満・満足をもたらす要因って、それぞれ別物だよってことを言っているわけです。
そのうえで、ハーズバーグは労働者には2つの種類がいるといいました。
先ほどの「動機付け要因追求者」と「衛生要因追求者」です。
なるほどなーと。私の、納得したというのはここになります。
私は「衛生要因追求者」なんだな、ということです。
「衛生要因追求者」は職場環境や労働待遇に敏感で、それによって意欲を左右されやすいというのです。
私のように、もうこの環境ダメ、耐えられないという人がいる一方、同じ環境・境遇で平気な人もいる理由。同じ人間なのに、根差しているものが違うから、その結果が違うのだという、私の見つけた答えでした。
みなさんはどうですか?私はどっちかな?と一度考えてみてください。
それにより、選ぶべき仕事も違ってくるかもしれません。職場環境に対して見つめなおすこともできるかもしれません。
キャリアコンサルタントを学んで思うことの一番は、「自分を知る」ことの大切さと奥深さです。
今日はここまでにします。
参考までに引用した図書をつけます。
ごあいさつ -キャリアコンサルタントのブログはじめます。
初めまして。キャリアコンサルタントのTOMOCHIと申します。
今日からブログを書いてみようと思い立ちました。
これから、主には「働く」ということをテーマにすえて、あれこれ書いていこうと思っています。
私は国家資格キャリアコンサルタントという資格を取得しました。
まだ2020年1月に取得したばかりの、ほやほやです。
正直に申し上げて、キャリアコンサルタントの経験としてはないに等しく、
現在もキャリアコンサルタントとして日々働いているわけではありません。
普段はとある企業で総務や経理に携わって働いています。
しかしながら、1年半ほど前にこのキャリアコンサルタントという仕事に出会い、
私はこの仕事に可能性を感じました。そこで、この資格取得を目指しました。
それは
①就職氷河期世代の私が、最初の就職から苦労し、長時間労働に耐え、転職を目指し、やりたいことに方向転換するもなかなか芽が出ないままうつ病にかかり、非正規雇用を経験しながらもがいているこの16年間の経験が、もしかしたら誰かの役に立てるのではないかと思えたこと。
②人は誰かに助けを求め、人に自分の思いや考えていることを話すことで、どう歩むべきか見えてくることがある、ということを知ったから。
②については、私自身が現在の仕事に悩んでいた2年前、初めてカウンセリングというものを受けた経験から思ったことです。
人に頼るということをあまり知らず、日ごろより自分の中に物事を抱えがちな私が、「外部の人に頼ってみようか」とものすごい方向転換をしたのです。
将来のお金と仕事について、悩みぬいた私はついにファイナンシャルプランナーさんに個別相談に行ってみたのでした。
それが思いのほか良く、目の前がクリアになる経験をしたため、調子に乗って次は仕事のことを話そうと、カウンセリングに出向いたのでした。
カウンセリングを4回受けました。
その効果というのは、
・話すことで、頭の中が整理され、客観的に自分を見つめるようになった
・うすうすわかっていたこと(=もやもやして整理されていないが、そして直視したくはないが、方法はこれしかないんだろうなということ)が、「あ、やっぱり、そこですよね問題なのは。」と直視できたこと
私はここでもう、自分の中では問題は解決していないけれどもすっきりした、のでカウンセリングを終えました。
というわけで、あまり日本ではまだなじみが薄いカウンセリングというジャンルであり、またキャリアコンサルタントという資格が国家資格になってまだ数年しかたっていない中、これからはもっと多くの人が気軽にキャリアカウンセリングを受けるような世の中になるんじゃないか、そうなったら、悩みや苦しみをどうにか次に活かす力にできないか。
ぺーぺーなくせに、いっちょまえにそんなことを思っています。
そしてキャリアコンサルタントとしてやりたいこと(夢といってよい)も心に秘めています。
今日はここまでにします。
またお目にかかります。