あなたの「働く」を見つめよう

キャリアコンサルタントのTOMOCHIです。働くことについて綴っていきます。

働きたくない? -自分の中のふしぎな矛盾

1.会社に行きたくない

 

GWや年末年始などの連休明け。

または毎週の日曜日など。

いわゆる「サザエさん症候群」といわれるものですが、「あー明日から仕事かぁー行きたくないなー」と思う方はどのぐらいいらっしゃるのでしょうか。

 

私も、連休の最終日は、あーあと思います。

私ってそんなに仕事嫌いなのかと思ったりもします。そしていつまでも働かずに暮らしていいのなら、自分にはできそうだなとも思う。

実は今も会社より自宅待機の指示が出ているので、原則出勤はしていません。月の大半は家で過ごしています。週に1回ほどのペースで、出勤してやるべきことをこなしている状況。

こんな中でも、私の気持ちはといえば、「やっぱり普通に働けるっていいな!幸せなことだったんだな!早く毎日出勤したいな」とはなりませんでした。

我ながら、すごい。というか、徹底している。

本音は、「今の感じが、サイコー!」です。

2か月も家にこもっていて、それでも、飽きない。もともと、家が好きだというのは大きいと思いますが、眠りたいだけ眠り、食事も好きなペースでとることができ、自分で決めたやりたいことをやる。快適なんですよね。

ただ、そこに、「週1回の勤務がある」というのが、絶妙なバランスなのかもしれない。これが大きな、幸せを支えているポイントかもしれないのです。

 

 

2.働くことは好きですか?

 

働きたいのか?働きたくないのか?

要するに、あなたは働くことが好きですか?という問いになる。

これに対して、「ええ好きですよ」と開口一番答える人はかなり少ないのではないかと思います。

 

先日読んだ図書「仕事と幸福、そして、人生について」(ジョシュア・ハルバースタム著)によれば、「人々は自分の仕事を嫌うことが大好きだ」とありました。

一方で、とある調査では、男女ともほぼ80%がたとえ働かなくても食べていけるお金があったとしても今の仕事を続けるだろうと回答しているらしい。

 

つまり、口では働くのは嫌いだといいつつ、本心では働くことが好きである、ということ。

 

ふしぎな矛盾です。

けれど、自分の中にもこのような矛盾があることは承知しています。

先ほど指摘した、今の私の「週1回の勤務がある」ということは、「私には仕事がある。やるべきことがある」という、ある種の安心を担保しているのだろうと思うのです。

 

試しに、考えてみてください。

もし、働かなくても死ぬまでに十分すぎるお金があるとしたら、あなたは残りの人生で何をしますか?

つまり、そこであなたは働くのか?働かないのか?

 

私は、働くことを選びます。

 

 

3.働くことで得られるもの

 

私は過去に何度か失業したことがあります。

次を決めないで仕事を辞めたことが2度ありました。

一度は東京から関西に戻ってきた時。関西の求人は驚くほど少なかった。

二度目は軽度うつを発症し、このままでは病気が悪化するだけだと、早々と見切りをつけ辞めた。辞めてから半年間は自宅で療養した。

その時の、自分の気持ち。

失業は、失業した人にしかわからないようなものがあると思います。

先の見えない不安、決まりそうな仕事は自分のやりたくない仕事しか見当たらない、自分がのぞむ求人は毎度書類選考で落ちる、お金が心許ない、税金や社会保険料でどんどん貯金がなくなっていく、この国では何もしていなくても、ただ息を吸ってはいているだけで、お金を吸い取られていくのだと思ったものです。

暗いトンネルの中にただ一人でいる。

出口は見えない。どれだけ歩けば、光が差してくるのだろうか。

失業中の、仕事を探しても探しても決まらないときの気持ち。

 

働ける場所があるって、ありがたいんだなと思います。

 

働くことは、奥深いのだと思います。

要は、働くことで得られるものは、お金(お給料)だけではないということです。

ここに、「実は働くのは好き」という本質が隠れているのではないかと。

 

「働く」ということは

①人を介するものである

②自分本位のみではない、「支えあい」である

③社会に必要とされること⇒「自己重要感」につながる

この3つに分解できるように思います。

 

①人を介するものである

よく言われたもので、人は一人で生きているのではない、ということですね。

人と人の間に、労働は存在しています。相手がいなければ、ビジネスは成り立たない。人と人を介在し、人と人の間で生きる。とても人間らしい姿なのであって、そこにコミュニケーションの難しさと醍醐味があるのだろうと思います。

 

②自分本位のみではない、「支えあい」である

自分のみが、お金を稼げればよいということに、世の中はなりません。

かなり一部の、ものすごい高所得者はもちろん存在していますが、その人たちも自分本位のみでは、そこまでの財は築けていないか、築けても長くは続かないと思います。

やはり、誰かの働きが誰かを支えている。誰かが必要としていることで、商機があっての財を成すへつながります。

今の新型コロナウイルス禍では、このことに気が付いた人は多いのではないでしょうか?

自分たちの生活を支えてくれている人がいる。世の中にはそういう労働者がいる。

自分も、誰かを支えているだろうか?誰かの喜びや幸せに、貢献できているだろうか?と。

どこか誰もが心の中に「人の役に立ちたい」という思いは、少なからずあるような気がします。

 

③社会に必要とされること⇒「自己重要感」につながる

人には、居場所というものが必要なのだと思います。

居場所は、あなたはここにいていいんだよって言ってもらえることであって、人から・周りから・社会から、自分という存在を肯定された気持ちになります。

裏返すならば、失業中のつらさや苦しみというのは、ここから来ていると思います。

自分を肯定されたいのに、されないという苦しみです。

働く場があるということは、自分の居場所があるということです。

自分の居場所で、社会に必要とされている。そこで一生懸命働くと、「あー今日よく働いたな」という満足感も味わえたりします。

その満足感は、自分が社会に必要とされて、そしてそれをまっとうできたという喜びなのです。

 

 

4.最後に

 

先ほど紹介の著書「仕事と幸福、そして、人生について」(ジョシュア・ハルバースタム著)によれば、この「働くことが好きなはずなのに、働きたくないと思ってしまう矛盾」について、「ある活動のすべては好きになれなくても、それに対してポジティブな感情を抱くときもある」ということで説明できるのではないだろうかと述べています。

 

そういう面もあるのかなと思います。

ただ個人的には、私の場合でいうと、家にいて好きなことをして時間を自分の思い通りに使えること(=それだけ家で一人でやりたいことが無尽蔵のようにある)が相当好きな、幸せなことなんだろうと。また一方で、仕事をすること、働くことも、もちろん好きなのである。つまり、「好き」と「好き」が拮抗している。そしてその両者は、なんと共存がかなり困難である、ということです。

簡単に言うと、あちらを立てればこちらが立たず、状態。

そりゃ、矛盾するでしょ、っていう話なのかなと思っています。

なんらふしぎなことではないのかもしれない。

みなさんは、いかがでしょうか?

 

仕事と幸福、そして人生について

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