天職という、憧れについて
こんにちは。キャリアコンサルタントのTOMOCHIです。
みなさんは、「天職」という言葉を聞いて、どのように感じますか?
今日はその「天職」について、あれこれ書いてみたいと思います。
1.天職に出会ってキラキラしたい!
私はずっと、「天職、かぁ・・・そんなものが自分にあるのかな~あったらいいのになぁ~自分にとっては天職ってなんなんだろう。」と思ってきました。
テレビや雑誌で見る人が「私、今の仕事が天職だと思っているんです。」と言ってたりする。
強烈にうらやましいと思っていました。
だって、やっぱりまぶしいですよね。キラキラしてますよね。そういって胸を張れるというのは、素晴らしいことだと思います。
天職というからには、こう言える人というのは、
自分に向いている、自分に合っている、本当に好きなこと、やりがいがあって、幸せを感じている、そういう仕事に出会って、従事しているのだろうと。そういうイメージですよね。
そもそも、天職とは何でしょう。
英語では、天職はcallingと言われます。呼ぶ、とか電話をかけるという意味の動詞callの名詞です。
これは、神様から呼ばれたものという意味からきていて、神様から与えられた仕事ということになるそうです。
つまり、まさに「使命」ということでしょうか。
しかし、ここには受け身のニュアンスがあります。「呼ばれる」とか「与えられる」とか。
自分で選ぶというよりは、「仕事に選ばれる」というような意味合いのようです。
けれども本当は、現代の社会で「仕事に選ばれる」なんてことはほぼないと思います。
代々続いている稼業を引き継ぐという場合には、「仕事に選ばれる」と言ってもよいのかもしれませんが、多くの方にとって、仕事は自分で選ぶものだと思います。
そこで大きな問題が出てきます。私が思うところ、2つあります。
問題①
どうしたら天職に出会えるのか?
つまり、職業選択に関する悩みです。
問題②
天職は、直感型なのか、熟成型なのか?
出会って、これだーーとひとめぼれのように天職とわかるものなのか?それとも長い付き合いを経てよさがしみじみわかるような、あぁ天職だったんだなという時間のかかるものなのだろうか?
2.問題①「どうしたら天職に出会えるのか?」
職業を選ぶ。そもそも、選ぶことができる、という時点で幸福なことですよね。
しかし、どう選ぶのか?選択肢があればあるほど悩ましいというのも現実には問題です。
昔から、職業選択については様々な学者達があれこれ研究を重ね、方法論を編み出してきました。
1つ有名なものを紹介しますと、ホランドという学者が提唱した理論に「ホランドタイプ」というものがあります。
人間のタイプを6つに分けるテストを行い、世の中にある仕事も6つのタイプに分類し、自分と仕事のマッチングを行うというものです。
ご参考に一般社団法人セルフキャリアデザイン協会のURLを貼っておきます。
https://self-cd.or.jp/archives/lp/vrt
(またこのブログでも、このホランドタイプについて語ってみたいと思っています!)
これらのテストである程度は、自分の興味関心と職業への適性をマッチングすることは可能です。興味のある方はぜひやってみてください。
しかしながら、これらはあくまで「適性をマッチングする」ということをお助けするツールでしかないのです。
今日の私の掲げた問題である、「天職に出会うにはどうしたらいいのか?」には答えられてはいないと思います。
やっぱり、好きなことを仕事にする以外、天職なんてありえないでしょ!という意見はたくさん聞こえてきそうです。
天職というものを分解したら、おそらく十中八九、「好き」は出てくるでしょうね。
けれども、そこで「好きなことを仕事にしなければ」と意気込んでいると、好きなこと探しに埋没する可能性が高いです。
好きなことってなんだ?自分は何が好きなのか?それって、仕事にしたいぐらい好きなのか?好きなことがそもそも、仕事にはないけど?
好きなこと探しの落とし穴は、案外深いです。
私の大学時代のゼミの先生はおっしゃいました。
趣味というのはね、趣味でおいておいたほうがいいですよ。趣味を仕事にしないほうがいいですよ、と。
今の私には、よくわかる言葉です。これもまた、深い。もちろん賛否両論あるでしょう。けれど私も、この先生の言葉には同感です。
では、「好き」はちょっとわきに置いておいて、自分に「合っている」仕事というのが見つかるなら、それは天職になるのではないか?
二つ目の仮説です。
そうですよね。自分に「合っているか合っていないか」はかなり重要な気がしますね。
先ほどのホランドタイプでも、「適性」、つまり「相性」を見ることになりますから。
適性テストで、自分に「合っている」職業が見つかったとします。
やってみて、自分の能力は発揮できてるかな~と思え、自分には合っている仕事だと自覚できたとします。
けれど、今日の私のお題は何度もいいますが、「天職に出会うにはどうしたらいいのか?」でした。
従事している仕事が自分に合っていたところで、その仕事はあなたの「天職」になりうるのだろうか?
禅問答みたいですかね??どうでしょうか。
合っているから、ストレスは少ないかもしれません。そんな不都合も感じないかもしれません。けれども、「天職」まで求めてしまうと、どうだろう・・・そこまでは難しいかもしれないと私は思います。
3.問題②「天職は、直感型なのか、熟成型なのか?」
天職、おそるべし。ぜんぜんたどり着けません。
好きだけでも、ダメそう。合っていても、ダメそう。なんか違う。
そこで2つ目に掲げた問題です。
天職はひとめぼれで見つかるのか、時間をかけて見つけられるものなのか?
もし、直感ひとめぼれ型なのであれば、先ほどのテストなどで自分の適性を見出し、とにかくやってみるしかない、ということになりそうです。
適性マッチングで目星をつけておいて、トライしてみる。
そこで、あ、これ私すごく好きかも、できそうかもって思えたら、はいあなたはラッキーでしたね、天職に出会えましたね、ということなのか。
なんかそれって、結局天職というのは、ラッキーがある人しか出会えないんじゃないかっていう結論になりそうですよね。
もし天職が時間をかけてやっとようやく、「あぁこれが私の・・・天職ってやつですかね」という境地にたどり着ける場合。
これには、紆余曲折を経て、というニュアンスが漂います。いろいろあったけど、いろいろ経験して、私も大人になって、ようやくそう思えるところまで来ました、というようなものです。
これも、ある程度のラッキーがあって、それに加えてこの人の適応能力といいますか、ものの考え方の変遷があってそこに至るという気がします。
天職に出会えた人には、おそらくどちらのタイプも存在すると思います。
最初から、ビビビッと天職だという予感がして出会えた人。
最初はピンと来なかったけど、続けていたら、これが天職なんでしょうねと受け入れるに至った人。
これらは結果論でしかないです。私らが知りたいのは方法論なのだよ!
4.「天職ですね」という人はなぜそう言えるのか?
ではちょっとアプローチを変えてみましょう。
冒頭で、「私、今の仕事が天職だと思っているんです。」という人を見かけたりするといいました。
その人たちが、どうして「私、今の仕事が天職だと思っているんです。」って言えるのか、そう思えるのか?を考えてみたいと思います。
すでに「自分の天職」に出会った人に聞いてみようっていうことですね。
自分のやりたかったことだから。
自分の夢だったから。
自分の好きなことだから。
とにかく毎日が楽しいから。
仕事をしていて、お客さんからありがとうって言われるから。
などなど
共通していることを掘り下げてみます。
こういう風に語れるというのは、
今のその仕事をしている自分自身に、満足を感じている
からだと思います。
簡単にいうと、「そんな自分が、気に入ってる」ということです。
ここで大事なことは、
「仕事」にフォーカスされているのではなく、「自分」にフォーカスされているということです。
天職を探したい、自分に合った幸せな仕事につきたいと思ったら、誰もが仕事を懸命に見よう、探そうとします。
仕事内容について、どんな会社なのか、どんな能力が必要なのか、等。
もちろんそれは、大切なことで、必要です。
けれども、一番大切なのは、「どんな自分だったら、私は自分に満足できるのか」を知っておくことだと思います。
つまり、「仕事を通しての、ありたい自分はどんな自分なのか」を知っておくこと。
自分が仕事で満足感を得るには、感じるためには、何が必要なのかを見つけることです。
自分の仕事は天職だと言える人が
「自分のやりたかったことだから。それができているから、天職だと思う。」というのであれば、この人は「やりたかったことをやる」ということに重きを置いていると思われます。そこに意志と信念がある。その自分の信念に従っていられる自分が好き、気に入っているということだと思います。
つまり、「どんな自分だったら、私は自分に満足できるのか」は人それぞれ違うわけです。あなたは何に、どんなものに、喜びを感じますか?
極端にいえば、仕事について、好きでなくても・合っていなくても、自分がその仕事を通じ喜びを感じられるのであれば、それでよいのかもしれません。
どんな仕事であっても、ありたい自分でいられる仕事なのであれば、それがあなたにとっての「天職」だろうと思います。
大切なのは、選んだ仕事を通じて、理想の自分・ありたい自分でいられることなのです。